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  • 現地ストーリー

赤土の地で、懐に入って、一緒に考える

赤土の地で、懐に入って、一緒に考える
  • PLAS 藤原祐希

こんにちは、PLASに在籍していた海外事業職員の藤原祐希です。

PLASの活動は、事業の成果やプログラム参加者の変化として紹介されることが少なくありません。けれど、その変化が生まれるまでの時間の中で、現場に立ち続けてきたスタッフ自身が、何を考え、どんな判断を重ね、どんな問いを抱えていたのかは、あまり言葉にされてきませんでした。

今回は、プログラム参加者の変化や成果ではなく、在籍期間を通して考え続けていたこと、仕事の中で形づくられていった判断の基準や働き方について、本人の言葉で振り返ります。

ーー PLASでの仕事を振り返ると、最初に思い出す「場面」や「感覚」は何ですか?

「赤土の土埃のにおい」でしょうか。

PLASとの最初の出会いは大学2年時の夏季休暇でのインターンで、その時出張していた職員の精算手伝いで初めてウガンダとケニアのお金に触れました。赤土にまみれてくしゃくしゃになったお札の埃っぽい匂いに、たしかにこれは地球のほぼ裏側から旅してきたのだな、どんな世界なのだろう、とわくわくして現地を想像しました。

その数年後、今後は自分が職員として実際にそのウガンダの地に降り立っていました。

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SHINEプログラムの事業地

30時間以上旅をしてきてへろへろの目には厳しすぎる標高1000Mを超える高地の強力な直射日光、30度を超える気温、空気はカラっとしていて、未舗装の赤土の道路から土埃が風に乗って運ばれてくる。あの赤土の土埃をかぐ度に、いつでもPLASを思い出すと思います。

ーー そのときの自分は、どんな気持ちでこの仕事に向き合っていましたか?

入職して3週間で、予防接種も打ち終わらず、何の事業がどうあるかも把握しきれていないまま「はい、どーん!」と背中を押されたと思ったら一人でウガンダにいたんです。

ええー…という気持ちでした。

空港から宿に移動するのも、キャンプ地のような宿でも、宿から現地団体の職場に移動するのも、もちろん全てひとり。初めてのアフリカで!5年経った今では宿から職場などタクシー移動できることが増えましたが、あの時はまだまだマタツやボダボダで一人移動だったので、よくあんなに何百回も使っていて交通事故にも合わずスリの被害も防げていたなと感心します。

とにかくよくわからないままとりあえず目の前の業務をこなしていきました。あと生き残ることを最優先していました。

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BRIGHTプログラムの事業地

ーー 今振り返ると、あの頃の自分に声をかけるとしたら何と言いますか?

あと数年したらもっと少し安全に移動できるように提言して予算取ってくるから!でしょうか(笑)とはいえ、安全管理は冗談じゃなく大切です。お金で買える安全は買うべきだと思っています。

特に、500m離れたところからでも視認されるくらい外国人が目立つエリアで、外国人は富裕層だと認識されていて、向こうに在外事務所もなく女性スタッフひとりでの長期出張になるのですから。

あとは、現地での味方を増やすと楽になるよ!でしょうか。現地語をメモして覚え、とにかく人の顔と名前を憶えまくって話しかけ、「ムズング(白人)」から「Yuki」に認識を改めてもらう。味方が増えるにつれ、どんどん動きやすくなりました。

あともう一個、折りたたみバケツを早いところ持っていきな!も。水シャワーが半分くらいなのですが、バケツがあれば沸かしたお湯と割ってバケツで足湯しながらお湯で行水ができるので、回復度が段違いなんです。

ーー 海外事業をひとりで進めていた時期もありましたね。正直に言って「いちばんきつかった瞬間」はどんなときでしたか?

きつかった瞬間は、あまりなかったです。

それまで自分が関わってこなかった事業がいきなり事業途中から降ってくることへの不安はありましたが、代表のるいさんも一部業務をサポートくださったり、インターン生がパートタイム職員になって大きな力になってくださったり、周囲のサポートがたくさんありました。

ーー 誰にも言えずに飲み込んでいた思いや判断はありましたか?

それも、あまり。あえてであれば、自分がほぼ情報を知らない事業が降ってくる怖さと事業への影響可能性を思い知ったので、その後は大体すべての情報をざっくり網羅して最新の状態をキャッチアップしていられるようチームメイトと働き方を変えました。

現地のリズムと、流れを止めずにそっとよりそう

ーー これまであまり表に出してこなかった失敗や、うまくいかなかった判断があれば教えてください。

そうですね、現地は年に二回の雨季の季節があるのですが、雨季は農業の季節なんです。

都市部はまた違いますが、PLASがリーチする地方の地方では雨が降り出したらみんな一斉に畑を耕し始めます。これはそういうもの(雨が降る=忙しい)で常識なのですが、はじめその常識をしらないので雨季が始まってから農業研修日程を組んでしまって、みんな畑で忙しくて参加率が著しく低かったことがありました。

ーー その経験から、いちばん学んだことは何でしたか?

暗黙知の大切さと、いかに現地のリソースをそのまま活かして事業に参加してもらうか、を学びました。

例えば農業を通した生計向上の事業なら、最近の雨季は地球温暖化の影響で地元の人でも開始日を見極めるのが難しくなってきていますが、これから雨が降るならその直前に農業研修を持ってきて、みんながまだ時間があるときに、そして周りは準備していないけれどみんなは雨が降り出したら即植付けができるくらいに研修を通して準備しておく。

プログラム参加者がいかに事業に参加しやすいか、効果を最大化するにはどうしたらいいか、気候のタイミングなどの現地リソースがとても大切です。

ーー その失敗を経験したあと、ご自身の中で何か“判断の基準”が変わった感覚はありましたか?それ以降、事業を考えるときに必ず確認するようになったことはありますか?

何が変わらないものとしてあって、何を変えられるのか。雨の時期は変えようがありませんが、研修の日程は変えられます。

現地の人がその日、その週、その季節を過ごす中で、どのように邪魔にならずにお邪魔をして、そっと双方の望む方向へ方向づけできるか。一連の流れの中で常に考えて実施するようになりました。

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研修が終わって帰っていくお母さんたち

ーー 「これは以前の自分だったら見落としていたな」と思う視点はありますか?

「見落としていた」というか「存在をしらなかったから見えていなかった」、現地ならでは時期・その時の環境・データの裏にある要素が見えてくるようになりました。

調査実施時期一つとっても、雨季のはじまりなのか、雨季直後なのか、乾季のまっただなのか。それぞれの時期で調査インタビューにしっかりゆっくり答えてくれたか、時間がなくやっつけだったか、農業であれば作物がいっぱい収穫できる時期か、畑に食べ物があるのがすごい時期か、子どもが学校の進学試験でピリピリしてくる時期、休暇でも畑や家のお手伝いが忙しい時期、時間を余してしまう時期。それぞれに合わせて、一番効果が出そうな時期にそれぞれを当てはめることができるかな、と工夫しています。

また、目の前だけの業務にいっぱいいっぱいだと、見えないことはいっぱいあります。来週の研修内容を作るための調査と研修台本作りだとか、遅れている調査結果入力の〆切の現地パートナー団体スタッフへのリマインドだとか、目の前のこまごまとした業務だけでなく、途中からは中長期的視線を意識できるようになりました。

PLASの中期計画に合わせたゴール設定に加え、現地で2年後なり3年後なりの事業終了後、さらにその数年後につながる事業設計、それを見越したパートナー団体の育成や働きかけ。でもそうすると今後は逆に、目の前の細かい業務の見落としがあったりします(笑)

ナムテビ、ムチェーレ、ベティ、アチン…のどかな地域の地域猫並みの愛嬌と現地名だったかも(笑)

ーー PLASで働く中で、「自分なりの仕事の進め方」や「距離の取り方」が固まってきた感覚はありましたか?

そうですね。PLASでは現地のNGOやCBOとパートナーシップ契約を結んで事業のニーズ調査段階から一緒に進めていきますが、私はパートナー団体スタッフの懐に飛び込んで一緒に仕事をするタイプでした。

契約締結時や予算決めなど、かなりシビアにビジネスライクに議論することももちろん多いのですが、現地語を習い覚えて、世間話と井戸端会議の合間に事業の会議を進めて、スタッフの家族にも接する機会が多く、そのうち現地語の名前をあっちでもこっちでももらって。地域猫はいろんなお家でごはんをもらって色々な名前でよばれて、こんな気持ちなのかしら、と思ったり。

名前を付けてくれ!と言ったことは一度もなかったのですが、井戸端会議で行き合った地元の有力者のおばさまのクランに入れがてら同じ名前を貰ったり、地元の昔のお姫様の名前をもらったり、現地の名づけの方法に合わせてつけてくれたり、私は懐に入れれば入れただけ仕事はしやすくなるタイプだったので、つけてくれたのならと喜んでもらっていました。

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フィレスターと井戸端会議と会議

ーー ひとりで現地に入る働き方は、その感覚にどんな影響を与えましたか?

ひとりなので、そのスタイルになったのかもしれません。

本当に、圧倒的にアウェイなんです。きっとウガンダもケニアも都市部は違うけれど、たぶん半径20㎞圏内には外国人は私ひとり、という地域も珍しくありませんでした。そんな場所で孤立してしまうと、おそらく何にもできない、どころかリスクが増すばかり。

日本のビジネスライクだとおそらくあまり仕事はできなかったでしょう。ひとりで膨大な仕事をひっさげて行きながら、仕事をしようと思うともっと懐に入る必要がありました。

ーー 最初の頃と比べて、「これは無理しなくていい」と思えるようになったことはありますか?

とにかく業務量が多いので、ある程度の質で次にいくようになりました。

常時2か国6-7個の事業を運営しつつ、20名越えの色んなパートナー団体スタッフとコミュニケーションとりつつ、新しい事業分野や団体の開拓、10を超える助成金の確保と報告、国内イベントの登壇、広報記事作成、出張の準備、ロジ全般、パートナー団体能力強化の研修作成と実施、PLAS団体内の施策作成、年次計画に中長期計画の作成。

おそらく一人でやる量ではない量が常にあります。外部資料は別として、内部資料などは属人化させないために自分一人でなく他の人も使えるレベルの成果物が作れたら、完璧を求めすぎないで終わらせて次に取り掛かります。そうしてもし余裕があるときが来たら、質を高める作業をすることにしています。

「お邪魔する立場」であることを忘れないことが、関係をつくる第一歩だった

ーー 振り返ってみて、仕事の結果以上に「この姿勢は大切にしてきた」と言えることは何ですか?

相手の立場に立ってものを見ること、背景を推し量ること、常に気づきとふりかえりをすることは継続してきたと思います。

自分がお邪魔する立場であるということは、常に意識していたいと思いました。すでにそこに日々の暮らしがあって、その場のあたりまえがあって、でもそこに突然肌の色も違えば言葉も怪しい外国人が事業で~す、とおかもちを下げてやってくる。PLASの支援は物資や資金を提供する支援ではないので、おそらくピザを想像していたのに親子丼がおかもちに入っていた、くらいのがっかり感や違和感もあるでしょう。

どうやって親子丼で喜んでもらって、今度自分でも作ってみよう!となるか。すみません、晩ごはん前なので例えがすっかりごはんに。

何がそれを言わせているか、その言葉や行動にどんな意図があるのか、背景を推し量ることや、気づきとふりかえりも大切にしてきましたが、長くなるので省きます。

参加者のお名前もできる限り覚えて呼ぶようにしていました。

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修了式のメアリーさんと藤原

ーー 誰かに教えられたわけではないけれど、自然と身についていたなと思うことはありますか?

「他人の靴を履くのが上手」と言っていただいたことが何回かあります。

小さなころから読書が好きで、近くに図書館が3カ所あったのもあり毎日新しい本を読むくらいには本を読んでいて。たぶんそこから培ってきた想像力と。小学校がまた多様性に満ちた北海道の田舎の、15-20名の1クラスずつしかない小学校で、おそらく大きな学校であれば特別学級に入る子たちも同じクラスで勉強も行事も一緒にやって、いろいろな個性として当たり前にとらえていたり。

どんな子にはどんなかかわり方やアプローチや、言い方をしたら動いてもらいやすいのかを、無意識に学んでいたのだと思います。

パートナー団体やプログラム参加者にもいろいろな人や考え方の方がいますが、そのいろんな人の個性と背景を推し量りながら対応することで、向こうからしても対応されやすさがあったのかもしれませんね。

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藤原に手を振って宅配に出発するカフェ事業のお母さん

懐に入る話が何回か出ていますが、プログラム参加者の方の飾らない、しゃちょこばらない自然な表情の写真を撮るのも上手だったのではと思っています。

特に一人でだと他の人と話している時を撮れないので、ある程度気を許してくださっていないとカチコチの表情じゃないやわらかな表情を撮るのはなかなか難しいんです。

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シャイだけどもとても料理上手なプログラム参加者のお母さん

やりがいだけでは、仕事は続かない

ーー 最近、NPO業界では待遇改善や働き方の話がよく出ますが、当事者としてどう感じていましたか?

正直に言っていいのでしょうか。PLASの働き方はびっくりするくらいホワイトです。組織内の風通しのよさ、カーリングコートレベルにフラットな上長たち、フルリモートでフルフレックスです。

急な子どもの熱とか、急な片頭痛で仕事を押し通さず数時間休んで別の時間に働くとか、当たり前に受け入れられます。当たり前すぎて、「申し訳ありません」ではなく、「〇〇なので〇〇時から勤務します」で報告がされています。とても得難い環境だと思います。

一方で、待遇改善は非常に必要とされている分野です。人材流出する側の私が言えた話ではありませんが、人材が安定せずに人材流出につながりますし、モチベーション・事業の質の低下・バーンアウトなど、もう本当にいろいろ繋がってしまうのを見てきましたし感じます。

今計算して衝撃を受けましたが、同じ時間だけコンビニバイトをした方が給与は上なんです。給与額がすべてではないものの、自分の仕事の評価の一部ではあると思います。この多様な業務を1.5人分くらいこなしていく中で、この評価しかされていないのかな、と何年間も思い続けるのは、決してヘルシーではないと思います。

ボランティアや趣味ではなくあくまで仕事である以上、国際協力のプロフェッショナルとして、これ1本で食べていけるだけの「当たり前」に早く追いつけるとよいな、と思っています。

ない前提だからこそ、生まれる対話がある

ーー それでもPLASに「これは変わらないでほしい」と思う部分は何ですか?

組織のホワイトな部分はもちろんとして、前述と少し相反するかもしれませんが、PLAS自体にお金がないということがPLASの強みのひとつであると感じます。

大きなNGOや国際機関であれば、〇〇や△△が欲しい、といった現地のリクエストに応える資金力があり、おそらく現地はそれを得られます。

予算にないので、と断ることはあっても、お金がないので、と断ることはほとんどないのではないでしょうか。PLASでは、お金がないので、と言う機会がかなりあります。断る方便ではなく真実お金がなく、年によっては最初から赤字予定で始まった年もあり、PLASもお金がないのか、じゃあない中でどうしようか、と現地パートナー団体とお金をかけずに何とかする方法を考え出すことになります。

外国のNGO=大きな資金源、と捉えがちな裨支援地域において、現地団体の依存可能性を下げ、基本的には自分たちでなんとかしなくてはいけないんだな(PLASにもお金がないから)、ではお金がかかることの代わりにこれはどうだろう?という思考を引き出すきっかけになっています。

実際に先月の事業計画の話し合いでも、現地パートナー団体側から「〇〇とか。でもこれはお金がかかるので実現可能性が低いよ!その割に効果も微妙で」という意見が出てきました。ものやお金を貰いなれている団体からはなかなか出てこない言葉なのではないでしょうか。

ーー これから先、何かに迷ったときに立ち返りたい“自分なりの基準”があるとしたら、何でしょうか?

一度立ち止まって周りをみて、大きな地図で見た時に大体使いたい方向に行けているか確認することです。その時PLASのように周りを巻き込んでいくことが仕事なら、寄りそい伴走できるひとでありたいな、と思います。

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ーー PLASでのどんな経験が、その基準をつくったと思いますか?

ほぼすべてでは。

ーー 赤土の匂いを思い出すとき、その基準も一緒に思い出しそうですか?

思い出すでしょう!一緒に、ああ、折りたたみバケツも持っていかなきゃ!とも思いそうです(笑)

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